2009年07月06日
伊東玄朴のご子孫
1800年に神埼町仁比山で生まれた「伊東玄朴」は、
日本に種痘を導入した人であり、東大医学部の前身である
西洋医学所を作った人でもあり、将軍家で初めて蘭方医として
奥医師となり、将軍家定や篤姫、家茂や和宮の脈をとった人
でもありました。
今日「伊東玄朴旧宅」を訪れた人は・・・
玄朴の長男の曾孫さん、つまり5代目になる方で、東京から
見えられました。
玄朴さんのご子孫は、実にたくさんいらっしゃいます。
実子7人の他に養子も7人、養子の中には縁戚の人もいれば
弟子の中の優秀な人もいたようです。
というわけで、子孫の方がいっぱいいるわけです。
今日お越しになった「伊東さん」は、実子の子孫ですから
当然、遺伝子が繋がっているわけで・・・もう、そっくり!
肖像画が残っていますが、驚くほど似ていて・・・
ご本人も、自分が似ていることは自覚しておられて、
「自分も似ているけど、いとこにもっと似てるのがいるよ」
自分のルーツが生まれ育った家や、木々に囲まれた雰囲気が
大変気に入ったご様子で「また、ゆっくり来ます」と言って
帰京されました。
日本に種痘を導入した人であり、東大医学部の前身である
西洋医学所を作った人でもあり、将軍家で初めて蘭方医として
奥医師となり、将軍家定や篤姫、家茂や和宮の脈をとった人
でもありました。
今日「伊東玄朴旧宅」を訪れた人は・・・
玄朴の長男の曾孫さん、つまり5代目になる方で、東京から
見えられました。
玄朴さんのご子孫は、実にたくさんいらっしゃいます。
実子7人の他に養子も7人、養子の中には縁戚の人もいれば
弟子の中の優秀な人もいたようです。
というわけで、子孫の方がいっぱいいるわけです。
今日お越しになった「伊東さん」は、実子の子孫ですから
当然、遺伝子が繋がっているわけで・・・もう、そっくり!
肖像画が残っていますが、驚くほど似ていて・・・
ご本人も、自分が似ていることは自覚しておられて、
「自分も似ているけど、いとこにもっと似てるのがいるよ」
自分のルーツが生まれ育った家や、木々に囲まれた雰囲気が
大変気に入ったご様子で「また、ゆっくり来ます」と言って
帰京されました。
Posted by しぎょうさん
at 22:07
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