2008年12月31日

2008年にさようなら

2008年も、もう残りわずか・・・

いろいろありました。
名残惜しい2008年です。
時の流れが、早いと感じる年齢になりました。

新年が待ち遠しいと思ったのは、人の命の
短さを全く考えなかった頃・・・

でも、当然、人は前に、先に進むのみ・・・
いつもと同じ夜なのに、確かに違う時間が
流れている今・・・です。

今年5月からスタートした、私のブログを
見て下さった皆さまに、御礼申し上げます。

どうぞ、よい新年をお迎えください。

  


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2008年12月30日

明日、吉野ヶ里は休園です

冬、吉野ヶ里はさえぎるものなく、冷たい寒風の中に
あります。

それでも、さすがに冬休み・・・
遠いところの他県ナンバーが目立ちました。


故郷への帰省の途中かも知れませんね。
家族の笑顔がすてきでした。

以外と多いのが若いカップル・・・
寒風の中で、身体を寄せ合って歩いているのも
何か、微笑ましいものがありました。

今日来園されてよかったです。
吉野ヶ里歴史公園は、明日31日は休園なんです。

1年のうち、吉野ヶ里公園が休園するのは「3日間」だけ!
12月31日、1月第3月、火(来年は19、20日)です。

明日は、入口でがっかりする観光客がいるかも知れませんね。
新年は、元日から様々なイベントが準備されています。

準備万端、新年を静かに待つ「吉野ヶ里」です。  


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2008年12月29日

椎茸栽培できます!

脊振の「高取山公園・わんぱく館」では、椎茸栽培の
申込を、「1月12日~2月15日」の期間中、受付けます。

料金は(700円~1500円)、原木の大きさで異なります。
(300本準備していますが、無くなり次第終了)

長さ1m程度の原木に、ドリルで穴を開け、椎茸菌のコマを
埋め込みます。
その後は、高取山公園で1年半(翌年の秋まで)保管します。
椎茸が芽吹いてきたら、公園から連絡、この段階で原木ごと
持ち帰り・・・です。

自分の原木に椎茸菌を埋め込む作業は、自らの手でします。
作業期間は「2月15日~3月1日」の間の、都合のいい日に・・・


申込や、問い合わせは・・・
高取山公園・わんぱく館へ (0952-51-9020)

ただ、年末年始は「休館」です。(1月4日から開園)

来年は、「自分の椎茸」を栽培してみませんか!  


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2008年12月28日

利尻島の珍味

北海道の方から、珍しいものを頂きました。
「たちかま」という、たらの白子の練物です。


それこそ”生まれて初めて”の味、食感でした。

なんと表現していいか・・・、ふわふわしていて、
ぷりぷり感もあり・・・
見た目や、触感は、ごま豆腐に似ていますが、
食べると、かまぼこを柔らかくした感じで・・・

まず、そのままで食べました。
次に、吸い物に入れて・・・

味を楽しむなら、やはり、そのままがいいですね。
食べやすいのは、吸い物でした。

バター焼きや串焼き、鍋ものにも・・・とありましたが、
量が少ないので、そんな贅沢はできませんでした。

12月~1月の間だけという、利尻島の「期間限定品」を、
有り難く、おいしく頂きました。  


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2008年12月27日

バラフはきれい!

国道34号沿い、神埼町本居牟田に「バラフ」のハウスが
ズラリと並んでいます。
(株)農研堂のハウスです。

「バラフ」・・・

「バラフ」です。
緑の葉の色が、なんともいい色で、周りの透明で水晶みたいな
粒々が、キラキラ光って輝いてみえます。

「バラフ」は、佐賀県が名付けた「登録商標」の名前です。
フランスでは、フィコイドュ・・・なんとか、というややこしい
名前がついてますし、佐賀でもJAの販売では違う名が、
ついています。

佐賀大学で研究された「塩生植物」は、海水と同じ位の
塩化ナトリウムの水溶液での「水耕栽培」、
今回、神埼市商工会の方から頂きましたが、これから又
神埼で、販路を開拓するそうです。
この1パックで、300円位になりそうです。


口に含むと、ほんのりとした塩味で、食感はシャキシャキ、
プチプチ・・・、綺麗でサラダの食材にぴったりです。
肉や魚料理の付け合わせとしても、彩りを添えますし、
少し、天ぷらにしましたが、”いけました”ね。
  


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2008年12月26日

神埼荘と平家

弥生時代以後も「神埼」が栄えた訳は、皇室の直轄領だった
からです。
平安時代の初期には、皇室占有の大規模な勅旨田を造って
いきます。
当時、摂津、下総に次いで、全国3番目の規模でした。

その後も開発が進み、12世紀には、現在の神埼市郡3千町が
上皇の「院領」になります。
普通の荘園ではなく、皇室の荘園ですから「神埼御荘」と呼ばれました。

鳥羽上皇の信任を受けた「平忠盛」は、「神埼御荘」を管理する
役目になり、中国(宋)との「密貿易」で、莫大な利益を得ました。

平家の基礎財力は、まず、「神埼御荘」で蓄えられ、あとを継いだ
息子の「平清盛」は、博多の「袖の湊」など西日本の海と港を
支配して、さらに膨大な財力を蓄積していきました。


(櫛田宮の市杵島姫命と関連ある弁財天)

平清盛が、瀬戸内海航路を支配するため造営した、厳島神社の
祭神は「市杵島姫命」・・・
櫛田宮にあるのも、神埼御荘と平家の繋がりをみる思いがします。  


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2008年12月25日

古語が残る地名

古代官道は、奈良時代から平安時代にかけて、
「遠の朝廷」と呼ばれた「太宰府」に、租税を
運ぶための重要な道であり、律令国家を支えた
道でもあります。

「肥前国府」から神埼荘を通り、現在のみやき町までの
約20kは、切通しや、水田の地割りなどから、一直線の
痕跡となって続いています。

官道には、15kごとに「駅」が設けられ、「駅馬」が配置
されました。
神埼に「駅ヶ里」という地名が残っています。

(やくがり)と読みます。
平安時代は、「駅」=(やく)と読んでいました。

大分県の宇佐神宮の近くを流れている川も、
「駅官川」(やっかんがわ)といいます。
古代、栄えた地域にはそういう古い呼び名が
残っているのですね。

1,000年以上前の条里制の「ヶ里」という地名が
多く残る神埼は、呼び名にも古代の名残が
ありました。

  


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2008年12月24日

赤ちゃんへの贈り物

今日、神埼では午後3時すぎから、雨が降り始めました。
冷え込み具合から、おそらく、夜半過ぎても雪には・・・
変わらないでしょう。

知人に赤ちゃん誕生の知らせ・・・
嬉しいことです。
もう、ずっと前から「赤ちゃんへの贈り物」は、「本」に
決めています。

それも、このシリーズです。

生後6か月を過ぎてくると、「いない、いない、ばぁ」に
反応してくれます。

「飛び出す絵本」系ですから、少し大きくなって自分で
本を触り始めると、当然、破って、投げてかわいそうな
状態になりますが、それでいいんです。

この時点で、赤ちゃんも、親も、「本」に興味を持つように
なっていて、次の段階の絵本に進んでくれます。

紀伊国屋書店は、さすがに幼児や児童向けの本も
充実、迷うときもあります・・・が、やっぱり最初の本は
「いない、いない、ばぁ」からスタートですね。
  


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2008年12月23日

冬鳥が来る沼

吉野ヶ里歴史公園の西口から入った一帯は、
10年前まで、ほとんどが水田でした。

青々とした麦田が、初夏には見事な麦秋となり、
田植えから、少しずつ育つ稲田を、丘の上から
見てきました。

まさに、「日本一の二毛作の佐賀」を、全国から
お出でになったお客様は見ていたのです。

その後、水田は大量の土砂で埋め立てられ、
「弥生の大野」や、「市の広場」が造られて、
少し小高くて、広い野原が出来ました。

古代から流れていた小さな川「貝川」は、
公園の中に組み込まれ、夏、子どもたちが
じゃぶじゃぶ遊ぶ場所となり、さらに下流には
沼ができました。


平成13年、国営公園としてスタートしたとき、
新しく出来た沼に「鳥」の姿は、ありませんでした。

ところが、2年経ち、3年経ち、少しずつ冬鳥が
渡って来始め、ここ数年、ほんとに驚くぐらいの
渡り鳥の飛来です。

おそらく、最初はどこかに行く途中で見つけて
立ち寄り、完全に周りから遮断された環境の
よさに、増えていったものと思われます。

ただ、この日もカメラに収めようと近づいたら、
さーっと、一斉に逃げてしまいました。

この季節、ひと味違う「吉野ヶ里の冬」を
見てみませんか。  


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2008年12月22日

神埼そうめんのパン

まずは、ご覧ください!

これが、今回「神埼清明高校」で作った「そうめんパン」です。

おいしそう・・・、食べてみて「ワァ、おいしい!」
ところで、「どこにそうめん?」

食品科学のE先生に、いろいろ教えて頂きました。

原料となる「神埼そうめん」は、市内の古賀製麺から
そうめんを作る過程ででる部分を、無償提供・・・

この麺を粉砕して粉に戻したものを使ったそうです。

「同じ小麦粉になったから、作れるんですね」に、
先生は「いいえ、粉の種類が違うので難しかったです」

パンは強力粉ですが、そうめんは中力粉・・・
割合をどうするか、試行錯誤したそうです。

手前のパンは、そうめん粉50%、強力粉50%・・・
うまく膨らまなかったそうです。

私が食べた奥の方のパンは、そうめん粉が30%、
ただ、先生は40%まではできるかも・・・だそうです。

塩分は、そうめんに含まれている分だけで、見た目も
味も、なかなかのパンが出来上がりました。

今後は生徒さんと一緒に、日持ちのするフランスパンや、
パスタに合うパンなども、考えているそうです。

ぜひ商品化して、神埼の特産品にしてほしいと願ってます。
  


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2008年12月21日

冬至と吉野ヶ里

今日は「冬至」、残念ながら天気は雨・・・
もし、晴れていたら感動の「日の入り」があったんですが・・・

吉野ヶ里に「北内郭」という、特別な区域があります。

外壕、中壕、内壕という、3重の壕に囲まれているのは
南内郭も一緒ですが、形が特別なんです。

アルファベットのAの形をしていて左右対称、内壕には
4つの物見やぐらが突起部分に配置、そして、巨大な
建物・・・

さらに、北内郭全体の向きが、東西南北にきちんと
向いてなく、不思議な方角に中心を向けていたのです。

平成7年、その謎が解明されました。
中心のラインは「夏至の日の出」と、「冬至の日の入り」を
結んでいたのです。


聖なる「太陽の道」だったのです。

暦の存在がなかった頃、稲作に関する神事は、
太陽、月、星、大気、風、雲・・・あらゆる自然の
神々を注視して行われています。

弥生時代のこの日、人々は特別な日の入りを
丘の上からみんなで、じっと見ていたと思います。  


Posted by しぎょうさん  at 16:20Comments(0)

2008年12月20日

熊本城と本丸へ!

先日、「佐賀戦争」によって、神埼宿が炎上したことを
ブログしましたが、3年後の明治10年の、奇しくも同じ
2月、熊本城の天守閣は、炎上します。

その熊本城に行ってきました。


明治10年2月、西南戦争によって焼失した天守閣は
昭和35年に外観復元をされ、平成になって、さらに、
大改修が行われています。

高さ30mからの眺めは、熊本市をまるごと見れる
大パノラマ・・・、なかなかのものでした。

もうひとつ、熊本城の醍醐味は、石垣・・・
幾多の出来事を見てきた”本物”は、やはり見事!


天守閣から見た「本丸御殿」です。
「くらがり通路」や、巨大な赤松の梁など、他に
類をみない建築構造は、さすが、熊本城・・・

復元された、極彩色の障壁画は、それは素晴らしく
ここまでするには、巨額の費用が掛かっただろうな、と
思ってしまいました。

ただ、維持していくための、経費節減の一環と思いますが、
足元にずーっと敷いてあるマットが、雰囲気的には、気に
なりました。

つい、佐賀の本丸御殿と比べていました。
「さがんもん」の身びいきですね。
  


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2008年12月19日

カチガラスのこと

近頃、あんなに身近にいた「カチガラス」を
見かけなくなりました。

ファミリーらしき「カチガラス」が、吉野ヶ里や
自宅の近くにも群れていたのに、いったい
どこへ行ったのやら・・・

カチガラス=カササギは、本当に夫婦仲の
よい鳥なんです。
中国で、「吉鳥」と言われているのは、生涯
相手を替えない夫婦仲のよさから・・・

だから、1年に1度、七夕の夜、天の川に橋を
かけて、あのふたりを結ぶ役目を担っているのも
カササギなんです。
”かささぎの 渡せる橋に・・・”と、百人一首にも
歌われています。

日本では、昔から夫婦仲のよいことを、おしどり夫婦と
言いますが、おしどりのオスは、メスが卵を抱いてる時
他のメス鳥を追いかけています。
(以前、NHKTⅴで実証してました)

カチガラスこそ、”夫婦の鏡”だったんです。

そんなカチガラスが、まわりからいなくなり、
寂しい限りです。

本物の写真を撮れなかったので、尾崎人形の
カチガラスを・・・、ただ、本物は、くちばしも黒です。
  


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2008年12月18日

菊水の麺懐石

櫛田宮の肥前鳥居の脇に、樹齢が約1,000年の
「琴の楠」がありますが、「菊水」は、その楠の
そばにある割烹です。

神埼市内8軒の、麺懐石を出す割烹や料亭は
それぞれに、料理人の腕と技が感じられますが、
この「菊水」でも、3代目の若い料理長の工夫した
創作めん懐石料理を、頂きました。



特に印象に残ったのは、「米茄子に中麺のカレー風味・・・」
きのこをあんかけにした一品は、カレー味が新鮮でした。

斬新だったのは、写真では分かりづらいのですが、
そうめんのバスケット、天ぷらが入ってました。

この1枚を撮ったあとに、みそにゅうめんと、ご飯、漬物、
フルーツが出てきて・・・、もう、お腹いっぱいになりました。

  


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2008年12月17日

神埼コロッケ定食

この秋デビューした「神埼コロッケ」・・・

380年の伝統を誇る「神埼そうめん」を使った
コロッケです。
まわりの衣には、細かく砕いたそうめん・・・
揚げると、カリカリした歯ごたえの食感が生まれます。

具材は、地元産のじゃがいもや玉ねぎ、人参、さらに
小さく切ったそうめんを混ぜ込んでいます。

揚げたてのコロッケに、山菜おこわと「あつむぎ」を
セットにしたのが、「神埼コロッケ定食」・・・(500円)



「あつむぎ」は、温かいめんのこと。
今回、赤米を粉末にして麺に練りこみました。
古賀製麺の麺です。

赤い麺ですから、一見すると蕎麦に見えますが、
米と小麦の麺なんです。
これが、また、なんともおいしいのです。

「神埼宿場茶屋」の薪ストーブのそばで食べたら、
ほんわかと、あったかくなりました。


  


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2008年12月16日

北からの贈り物

吉野ヶ里遺跡は、不思議なところです。
日本中の人たちと、一期一会の出会いをするのです。

初めて出会った方ばかりなのに、お別れする頃には、
価値観がぴったりで意気投合した人・・・
名残惜しくて、いつまでも手を握ってくれた女性・・・
「もう1度来ます」と、ホントにご夫婦でまた来てくれた方・・・
運命的なものを感じた方・・・

ロマンがいっぱいの、弥生の丘と空気が成せるものです。

20年のあいだに、北海道から沖縄まで、全ての
都道府県の方々との、様々な出会いがありました。

今も交流がある方からは、年末、いろいろな贈り物が
届きます。
昨日は、「長野のりんご」!


もう一つ、「山形のおっかさん」という漬物!

でも、いつもこの漬物を送って下さるのは、「栃木」の方・・・
有り難く、おいしく頂いています。

もちろん、頂いたらお返しをしなくては・・・と
九州・佐賀の私からは、いつも同じもの・・・
「神埼の半生うどん、ラーメン」の詰め合わせです。
時々、同じでいいかなぁ、変えようかなぁ、と気持ちが
揺らぐことがありますが・・・

今年もまた、「神埼の特産品」でいきます。

  


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2008年12月15日

西南戦争の前に・・・

昨夜、「篤姫」は終わりました。

最終回の中で駆け足で、明治維新から、明治10年の
西南戦争までの、西郷隆盛の生涯をみましたが、その
3年前、神埼宿から境原宿は全てが火の海と化しました。

「佐賀戦争」・・・明治7年、2月22日から27日にかけて、
神埼郡内で激戦となり、大久保利通が自ら陣頭指揮に立ち
大阪、広島、熊本の鎮台兵5,300人と、佐賀軍の兵が
田手川をはさんで、すさまじい攻防戦を繰り返しました。

23日から27日の間に、田手宿から、神埼宿、境原宿など
長崎街道の町並みは、次々と焼失していきました。


(現在の町並み、明治10年以降の家が最古)

2月28日降伏、戦死者680余名・・・
江藤新平は4月13日には、もう、処刑されています。

当時、街道筋の人々は、庭に穴を掘り、家財道具を埋め、
上に畳を置き、土をかぶせて、山に逃れました。

本堀の東楽寺では、佐賀軍に協力して、農民たちが、
弾丸づくりをしています。

(現在の東楽寺・・・曹洞宗)

世に有名な西南戦争以前に、堂々たる商家が立ち並んで
いた神埼宿は、本陣も、脇本陣も、25の寺寺も・・・
全てが、炎の中に消えていきました。

昨夜、「篤姫」を見ながら、ふと想った134年前の
出来事でした。

  


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2008年12月14日

濃厚豚骨魚介ラーメン

国道34号沿い、神埼町姉川東分に、この秋
1軒のラーメン屋さんがオープン!

気になってて、ずっと行けず、先日やっと行って
きました。

自由麺工房「大恩」です。

「濃厚豚骨魚介ラーメン」
豚骨スープがベースで、それに、サバ、ウルメイワシ、
ソウダカツオを鰹節にしたものを、微粉末にして加え、
麺は、川副町の小麦から作る、自家製麺・・・

太麺は、2日がかりで作るので、1日30食限定!
(細麺は、毎日作れるから限定なし)


麺に絡みつくような濃厚さと、独特の味が持ち味・・・

店内は、広くてきれい!
昼時とあって、お客様が次々に来店されていました。
   


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2008年12月13日

ようこそ、佐賀へ!

今日、吉野ヶ里遺跡をご案内したのは・・・
「北海道」からのお客様!

北海道庁などに勤務する女性ばかり6名!
駐車場でお会いした途端、もう、以前からの
知り合いだったような雰囲気に・・・

嬉しいことに、「佐賀」だけ2泊3日!
1日目は「佐賀市内泊」、2日目は「嬉野温泉」

1日目の夜は、前回来た時、すっかりお気に入りに
なったという「くらおか亭」。

今日のお昼の、「古雅味の麺懐石」も、みなさんに
大好評・・・、満足して頂きました。

このあとは、「有田」へ行きたい・・・とのこと。
子ども用食器を見たい、とお聞きして、早速、
有田町商工観光課のFさんに℡、「しん窯」を
紹介してもらい、カーナビに教えてもらった
電話番号を入れて・・・、いざ、「有田」へ!

吉野ヶ里で2時間ほど、弥生時代を楽しんで、
昼食も、おしゃべりも含めて2時間ご一緒した
のに、なんと、カメラを忘れて、写真なし・・・

仕方がないので、戻ってから、おみやげに頂いた
札幌のチョコを写しました。


パリッとした薄い板チョコを割ると、中心に少し苦めの
トロっとしたチョコが入ってました。(おいしい!)

最後に、”ぜひ、北海道に来ませんか”という皆さんの
お誘いに、ふたつ返事で「OK」・・・

来年7月に行くことまで決めてお別れしました。
(楽しみが増えた・・・)


  


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2008年12月12日

高取山「そよ風」のしし汁

”山里を味わおう”と、脊振町、三瀬村、富士町の9店舗で、
今、「いのしし&採れたて野菜料理キャンペーン」が、開催
されている・・・、と聞いて、1番近い「高取山公園」の食事処
「そよ風」に行ってみました。


お昼の定食、550円!
いつもの定食の味噌汁が「しし汁」に変わって、これに
柚子こしょうを入れて食べたら・・・、”おいしい!”

これに、魚の昆布巻き、揚げ豆腐のあんかけ、白菜と
ほうれん草のおひたし、ごはん(夢しずく)は、お変わり
自由!


外には、干し柿が下がり、直売所にも干し柿・・・

脊振の採れたて野菜を買って、”また、しし汁食べに来たい”と
思ったら、「そよ風のしし汁」は、今日で完売とのこと・・・
(危うく、セーフ!)

三瀬や富士町のお店は、まだ在庫がありそうですが、
キャンペーンは、12月31日まで・・・です。

しし汁がなくなったのは残念ですが、「そよ風」の
ランチは、栄養のバランスがよく、素朴なお母さんの
味でした。





  


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