2019年10月15日
烽の山からの眺め
7世紀後半、北部九州は大変な緊張状態に
ありました。
663年、百済からの援軍要請に応じて出した
日本軍は白村江で大敗・・
なまじ応援したばかりに今度は逆に、新羅と
唐の連合軍が攻めて来るのでは・・・と!
そこで天智天皇は様々な防衛のための設備を
築きますが、その一つが通信伝達の烽の山
でした。
神埼町にある日の隈山はその古代烽の山です。
頂上に上がってみました。
次の烽台がある朝日山の方角の東を見ると
稲田の中を城原川がゆったりと流れて・・
1300年前、遠く東国から来た防人たちは
どんな思いでこの風景を見た事でしょう。
ありました。
663年、百済からの援軍要請に応じて出した
日本軍は白村江で大敗・・
なまじ応援したばかりに今度は逆に、新羅と
唐の連合軍が攻めて来るのでは・・・と!
そこで天智天皇は様々な防衛のための設備を
築きますが、その一つが通信伝達の烽の山
でした。
神埼町にある日の隈山はその古代烽の山です。
頂上に上がってみました。
次の烽台がある朝日山の方角の東を見ると
稲田の中を城原川がゆったりと流れて・・
1300年前、遠く東国から来た防人たちは
どんな思いでこの風景を見た事でしょう。
Posted by しぎょうさん
at 18:32
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